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翻訳:宗沢香音
今ではみんながみんな、地元だと言える場所を持っているとは限らない。だから、君はある夏の午後、都会の女の子とそぞろ歩きながら、故郷について説明しようとしていた。
だらだら喋っている間に、色んな風景が流れていく。像になったかつての英雄たち、公園のホームレスが建てたピクニック用らしきキャンプ。その下の青々しい芝生は今にも赤茶に色を変えようとしている。スパニッシュ系の子供たちの掛け声が池の向こうにある野球場から飛んできたとき、君はふと、地元のチームで外野手をやっていたことを思い出す。トラクターや コンバイン、のぼりかけの大きな月は照明がわりだった。夕暮れになると、ボールの縫い目より、月の縫い目の方がはっきり見えた。ホームランは頭上を通り越して、とうもろこし畑へ落ちていった。そのあとは、君も一度は目にしたことがあるだろう。畑に留まっていたカラスの群れが一斉に飛び立っていくところを……。
君の薄暗いアパートへ女の子と二人で戻ろうとしたとき、ドアが開いたままのバーをいくつか通り過ぎた。汗とこぼれたビールの匂いが、発酵の匂いのする子供時代へ溶けていく。
すえた匂いの捨てられた穀物貯蔵庫は、線路沿いにあった。そこでは今でもときどき、マッチがジュッと擦られて、短い火柱がパッと上がったりする。不良少年たちはよくそこへタバコを吸いにいったものだったし、地元の奴らが言うには、ときどき、ひとりの女の子とそこで会うこともあった。その子は神出鬼没で、いつ現れるかさっぱりわからなかった。彼女が現れる直前にはいつもきまって、イナゴたちのうめきが耳をつんざき、バッタたちもブーンとゆらめく大気のなかを飛びかう。昼の月が突然、ぐっと迫ってきて、地球の端っこにある、ちっぽけな地元の姿をまじまじと反射させた。それから、一匹の鷹の影がジュッと穀物サイロに滑り込み、サイロから鳩たちがパッと噴火するのだった。地元の奴らによると、サイロ裏には頭のおかしなホームレスも住んでいたらしいのだが、君は人の姿もその影すら見たことがなかった。
柴田元幸『翻訳教室』で掲載されていた短編「ホームタウン」を日本語訳してみました。
附記:自分が訳したところで、明らかな誤訳だな、と思う部分は柴田元幸訳を参考にしています。
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